ネットの善と悪―アバター感想・考察―

 というわけで、アバター見てきたので、今更だが感想書いてみる。
 時期が遅いけどネタバレなので一応格納しときます。



 見ての通りアバターMMORPGを題材にしている。動物や植物が触手のようなものを使って交信するのはどうみてもネットのことだし、親切にもグレイスがナヴィの村を指して「サイト」と言っている。「人間を裏切ったな」と激怒する大佐は親を表現していて、主人公がシンクロするアバターなんてそのまんまだ。


 最新技術を総動員して表現されるファンタジー世界は、未来に登場するであろうフルダイブ型MMORPGへの想像と期待を掻き立てる。話題の中心である3Dという仕掛けはフルダイブ型MMORPGを表現するためになくてはならない部品であり、今後登場する「意味もなく映像を3Dにしただけの映画」とは比べ物にならない効果を発揮してくれているはずだ。


 さて、技術面の話はこれまでにして物語に踏み込んでいくことにする。
 アバターでは、ネットの良い点と悪い点の両方が挙げられている。ネットの利点だけでなく欠点にも触れ、あくまで中立を保った作品だ。
 アバターが描くネットの利点は、人と繋がることができること、人と力を合わせることの偉大さだ。主人公のジェイクはネットワークで繋がっている人々(ナヴィ)をまとめ上げた。そしてネットワークを通して転送された信号は、ナヴィ以外の生物にも伝搬し、パンドラの世界を救うために全世界の生物が立ち上がることになる。面白かったのはその演出方法で、世界中の人々が力を合わせて戦うことにより主人公が描かれなくなるストレスを、映像の迫力で押し切ってしまったことだ。
 ネットは欠点は、ジェイクが陥っているネット廃人状態だ。食事を取ることすら忘れてMMORPGにはまり込んだり、夢と現実の区別が分からなくなったりという描写がなされている。終いには、ナヴィの世界だけで生きる(=現実世界を見なくなってしまう)ことを選んでしまった。


 アバターを見て魅力的だったのはグレイスだ。彼女はネットの有用性(=ナヴィが森と交信する文化・ナヴィとの交流)を尊重しながらも、現実を大切にしている(=タバコが好き)。そして、彼女は廃人になること(=ナヴィとして転生すること)を良しとせず、現実で力尽きることになった。


 最後に余談だが、本記事を書くにあたりアバターMMORPGについて書かれた記事をいくつか読んだ。あるブログでは「エイワ」=MMORPGゲームマスターで、作中で述べられた通り「誰も味方でもない中立の存在。世界の調和を守るだけ。」の存在としていた。そう考えると、動物たちの反乱は、ゲームマスターが人間=バグを修正しただけである。
 本記事では、私の初見の感想の通り「エイワ」=「インターネット」とし、「誰も味方でもない中立の存在。世界の調和を守るだけ。」=「インターネットに繋がっている世界中の人々の意思総体」とした。理由としては(弱いけども)、グレイスがナヴィの村を「サイト」と言ったことが挙げられる。「サイト」=「MMORPGの1つ」とすれば、「サイト」やその他の生物を繋ぐ世界中に張り巡らされるネットワークはインターネットであり、「エイワ」はインターネットの意思と考えることができる。